山内酒造場の21代目当主、山内總太郎さんは、伝説の立役者だ。ここ中津川市の椛の湖畔で昭和44年から46年にかけて開催された全日本フォークジャンボリーの実行委員を務めた。椛の湖オートキャンプ場の資料コーナーでは、当時を振り返る特集や、40年後に復活した「’09 中津川フォークジャンボリー」の発起人として取り上げられた記事を見ることができる。当時まだ原野だった湖畔で、ステージやトイレをすべて手づくりして開催した、日本初の大規模な野外コンサート。アメリカのウッドストック・フェスティバルより1週間早かったというのだから驚いてしまう。それなのに、「私たち地元の人間は、なるべく周囲に迷惑をかけないように交通整理をしていましたね」と、山内さんが言い、奥さんの満由美さんも、「下っ端やもんね。駐車場係ね」と同意する。伝説と持ち上げる周囲をよそに、山内さんたちは当時も今も冷静だ。

 

 「高度経済成長期、大量生産の時代に入っていく頃でした。今、値打ちがあるのは手づくりのものではないかと気づいたんです。お祭り騒ぎではなく、もっと地に足をつけて自分たちの思いを表出できるような取り組みをしたいって」。フォークジャンボリーの準備と並行して、ものづくりを中心とした活動を仲間たちとはじめた。子どもたちに向けた手づくりの影絵芝居は20 年ほども続き、遠方からも求められて公演した。フィールドフォークという試みは、フォークソングの仲間たちとの酒蔵コンサートに発展し、もう19回目を迎える。蔵に設けられたステージで、仲間たちの音楽と、そのCDを聴かせて発酵させた新酒を楽しむ会だ。200 人ほどが集まり、外へあふれた人たちは、車庫のモニターに流れる映像と、満由美さんが陣頭指揮をとって仲間の女性陣とつくった料理にありつく。30種類以上ものメニューを用意するというから、酒蔵のおかみさんは大変だ。

 

 酒蔵では、昭和57年までは新潟の豪雪地帯から杜氏が来ていたが、病気でリタイアを望まれ、現在は夫婦で酒造りを担っている。仕込み水は、山清水だ。鉄分が多い山を避けて、湧き水を引いている。水と米で純米酒だけをつくる蔵で、アルコールの分析や麹は、満由美さんの担当だ。「こまやかさが必要な酒造りは、女性の方が向いている」と、今では山内さんが全幅の信頼を寄せる杜氏だが、お嫁に来たての頃は、隠れて蔵へ通っていたという。「忙しい杜氏さんから、手が欲しいと呼ばれるわけ。でも、大きいおばあちゃん、私どもの祖母が、女は蔵なんか行くもんじゃないと言うもんで、こっそり手伝っていました。女性は不浄とされた時代でしたからね」。

 夫婦はふたりとも、この地域の生まれだ。山内さんは、こ

青春時代から生き方として貫く酒造りと山里の暮らし。

山内酒造場 当主 山内總太郎さん / 杜氏 山内満由美さん

こで蔵主を務めながら地歌舞伎の振り付けを担っていた祖父にあちらこちらへ連れていかれたと、幼少時代を振り返る。「昔は、それぞれの地域に歌舞伎小屋があって、そこで練習したんです。うちへも、口三味線の浄瑠璃や歌舞伎の稽古に役者が通ってくることがありました。地歌舞伎は、地域ぐるみの取り組みだったので、役者として出る人、裏方をやる人、稽古場として自宅の一部を提供する人、それぞれができる役割を果たすんです」。山内さんは今、地歌舞伎の保存会会長を務める。この日も、2 週間後には子ども歌舞伎の定期公演を控えているからと、公民館へ出かけていった。

 

 蔵のある山道では、今年も小野櫻が花を咲かせる。山内さんの先祖が命をつないできた3 代目の山桜だ。苗代にモミを撒くタイミングで満開になり、代々、稲作のはじまりを告げてきた。桜が粛々と務めを果たしてきたように、山内さんは蔵主で、冬は杜氏、夏は農家、地歌舞伎の活動に勤しむ。つい最近23 年の活動の幕を閉じた、小学生に農業体験を提供する農業小学校でも事務局を務めてきた。大忙しだが、それが山内さんの言う、できる役割を果たすということなのだろう。先祖から受け継いだものを守り続けるために、地域の人は自分なりの役割を引き受けている。子ども歌舞伎の公演は、無事に成功を収めた。難しい立ち回りや言い回しを覚える以上に、小中学生にとっては意義あるチャレンジだったことだろう。彼らもまた、この里の文化をつないでいくという大役を果たしたのだ。

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