城下町の空は、意外にぽっかりと広かった。通りには古い建物がみっちりと軒を並べているのに、なぜだろう。恵那市岩村町で7代続く岩村醸造の当主、渡會充晃さんは、まちのことに詳しい。「昔は、この狭い場所に電柱や電線がすごくてね。でも、地中化するには予算が必要だから、国に働きかけようと何度もみんなで会議を重ねましたよ」。その結果、平成10 年に岩村町の城下町は文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定。まちは念願の電柱地中化を叶えた。工事は家屋内にも欠かせない。住民の理解と協力があって、いまや通りの空を遮るのは、東の先に緑を茂らせる岩村城址だけになった。

 

 人のパワーを感じるまちだ。観光地である前に、人が暮らすまちとして現役で機能しているからだろうか。「ここは、人があったかくてね。妻は犬の散歩に出かけると、ちょっとちょっと!と呼び止められて、野菜を携えて帰ってきます」。外から移住・定住する人からも暮らしやすいと評判だ。最近ではゲストハウスもいくつかお目見えした。新しい町屋民宿について尋ねると、「あの建物は、おじいちゃんが自分の住まいにしようと時間とお金をかけてつくったらしいんだけどね。ゲストハウスにしちゃうって言ってねえ」と、やっぱり詳しい渡會さん。いろんな住民団体が活発なこのまちで、町おこしの活動に勤しんでいる。「このまちには、前向きにやろうとすることに文句を言う人が少ないんです。野党がいない。会議はレジュメ2、3枚にまとめて、パパッと決めちゃう」。会議のあとは居酒屋へ。酒の席では、やっぱりビールや焼酎が強い。そんな時、もっと酒が飲まれるようになってほしいと渡會さんは望んでいる。海外へ売り込みに出かける理由も、「うちの酒が海外でも売れているとなったら、地元の人も目を向けてくれるでしょう。さらにもっと、岩村で愛されて飲まれる酒でありたいんです」と、まちのほうを向いている。

 

 岩村醸造の歴史は、今年でちょうど230年。メインブランド「女城主」は、岩村城の築城800年を記念してつくった酒だ。女城主とは、その岩村城を守り、波乱の人生を送った戦国時代のヒロインのこと。岩村城址の本丸跡へと登ると、四方の景色を一望することができる。敵が攻めてきた時、城内秘蔵の蛇骨を投じると、たちまち霧が城を包んで守ったという伝説の井戸もある。幻想的な場所だ。

 

 岩村醸造の店舗奥では、岩村城が廃城となった後に売りに出された城の床板を見ることができる。江戸時代からの建物にしっくり馴染んで、同じ時を重ねてきた。その前のたたきには、奥へ向かって約100メートルのレールが走っている。国道ができる前までは山のふもとまで続いていた蔵から酒の荷を運んだトロッコ用の線路だ。明治初期からあるなら日本

自分ごととして考えるパワーが、城下町を輝かせる。

岩村醸造株式会社 代表取締役社長 渡會充晃さん

製ではなくイギリス製だろうと、その道に詳しい人は言う。子ども時代の渡會さんには、絶好の遊び道具でもあった。「友だちと乗ってはガーッと走らせて、止まり切れずに表のガラス戸をガシャーンと突き破って道まで飛び出してね。何度やったかわかりません」。でも、幼いながらに、このトロッコは大事なもので、絶対に遺していかなければならないと理解していたそうだ。25 年ほど前まで現役で酒の荷を運んでいたトロッコは、展示用にこそなったが健在だ。

 

 渡會さんは、大きくなったら酒蔵を継ぐんだよと言われて育った。将来の夢を、「跡継ぎ」と書いてしまう子どもだった。順調に農業大学へ進学したが、大学生活では自転車競技に本気で取り組み、プロライダーに。「もう帰らん!」と決心したこともあったそうだ。ところが、心配したご両親のはからいで愛知県の酒蔵へ修行に入ってみたら、すっかり酒造りに夢中になってしまった。「自分たちのつくった酒が世に出て、それをおいしいと言ってくれる人がいる。魅力ある仕事だと気づいたんですね。もともと、コツコツものをつくることが好きだったこともあります」。それで、蔵を継いだ現在がある。蔵の酒造りは今、渡會さんが出来上がりのイメージを伝え、杜氏がそれを酒という作品にするスタイルで進められている。「自分がつくった酒だと、大事にし過ぎて、どこにも売れなくなっちゃう。それじゃ商売にならんでしょう」。好きだから、今は揺るがない。まちのことも、好きだから自分のことのように考える。渡會さんのようなパワフルな住人たちに支えられて、城下町は今日もいきいきと前向きだ。

◎「食に携わる人」をテーマにしたvol.2は、MEETS TONO 2018でプレゼント!

◎vol.1(酒蔵号)は、会場で販売いたします。