瑞浪市土岐町で300年以上酒造りを続ける中島醸造は、川なしには語れない。土岐川沿いから歩いて蔵を紹介してくれたのは、中島修生さん。14 代目蔵主のお兄さんを杜氏として支え、現在は、平成14 年に立ち上げた新しいブランド「小左衛門」の展開に力を入れる。「先祖は、岩村藩からこの地の統治を任された一族でした。開墾を進めて田をつくり、豊作の年にはじめたのが酒造り。昔は、豊作だと全国的に酒屋がわっと生まれる波があったらしいです。元禄時代も第三次くらいのピークで、うちは元禄15年のことでした」。

 

 土岐橋のたもとにある古い洋館へ案内してもらう。明治から昭和初期にかけて、中島醸造が銀行を営んでいた名残だ。隣には、焼酎をつくっていた昔の蒸留棟がある。対岸からもひと際目を引くシンボリックな木造5 階建の黒壁に、初代からの銘柄「始禄」の名を掲げて川面を見下ろしている。「この川沿いは気持ちがいいでしょう。僕が学生時代は、もっと自然豊かでした。ビルなんてなかったし、土岐川には砂地があって水も透明だった。目を開けて泳げたんですよ。“にわかハワイ”みたいだったなあ」と、懐かしむ。

 

 土岐川を離れて中島醸造をぐるりと囲む塀に沿って歩き、立派な杉玉のかかった門に出ると、こちらでも水の流れる涼しげな音。まちを走る水路だ。もともとは、米づくりのために引かれたものらしい。水路は、中島醸造のなかも通り抜けていく。敷地内では小さな流れだが、「市役所から請求書が届いて。何かと思ったら、河川の占用料なんです」なんてエピソードが、れっきとした河川であることを証明している。「昔は、この小川の力で精米していたようで、バラした水車が3 台分あります」。その一部は本棚となって、蔵の試飲コーナーを飾っている。一方、酒の仕込み水は井戸水。屏風山の伏流水だ。50年前に山で降った雨が、ゆっくりふもとまで降りてくる。酒造りは、この水なしにはできない。

 

 豊かな水は、この地の米と、酒と、中島醸造そのものを育ててきた。樹齢400年と言われる大イチョウは、今年も銀杏をどっさり実らせた。小川の流水でじゃぶじゃぶ洗い、従業員のみんなで分ける。門を入ってすぐの中庭には、大きなエノキが枝を広げていた。この木は2 代目。一度は伊勢湾台風で倒れてしまったけれど、次の代がもうここまで育ったのだという。「門の前は、昔の下街道にあたる道で、エノキは一里塚として植えられたシンボルツリーでした。面する棟はその昔、桶職人が暮らした長屋です。酒造りをしない夏場に

つくった桶を中庭にズラリと並べていたそうです。大きな枝が日陰をつくって、ちょうどよかったみたいですよ」。中庭は、毎年春に開かれる新酒お披露目会で試飲を楽しむ会場になる。木漏れ日が爽やかな頃だ。大きな枝から、鳥のさえずりが降ってくる。変わらない風景は、自然がつくっている。

屏風山で磨かれた水が、まちを潤し、酒を醸し、人を育てた。

中島醸造株式会社 繋役 中島修生さん

 中島さんは、この土地の自然に親しんで育った。「子どもの頃はよく櫻堂薬師まで歩いて行って、池でザリガニ釣りをして遊びました。今でこそ、歴史ある古刹として見直されているけど、当時、そんな意識はなかったですね。大型スーパーができてすっかり住宅地になっている瑞浪バイパス辺りには、まだ防空壕が残っていて秘密基地にしていたな」。やんちゃな少年は大人になり、酒造りは自分を育ててくれた大地の延長線上にあると考えるようになった。

 

 「屏風山の奥が水の源流にあたるらしいんですが、山にたくさんある湿地が保水してくれているみたいなんです。大事にしたいなあって」。中島さんは今、プライベートで里づくりの活動に力を入れている。「瑞浪のいちばん端っこの緑豊かな場所で、少しずつ動きはじめました。地域の特性が生きる里をつくりたい」。活動に賛同して集まる人たちは、草ぼうぼうの休耕田を耕して有機栽培にトライしたり、荒れた山を伐採してきこりを気取ったりと楽しんでいる。廃業した窯からレンガをもらってきてピザ窯もつくったそうだ。頼もしい。屏風山から生まれる水は、この地の恵みを次へときちんとつなげる世代を育て、守られていくだろう。

◎「食に携わる人」をテーマにしたvol.2は、MEETS TONO 2018でプレゼント!

◎vol.1(酒蔵号)は、会場で販売いたします。