山道を迷い迷い辿りついた私たちを、恵那醸造三郷工場の市川賛平さんは、「迷らした?どっちからいらした?らっせぃみさとの方からなら、中央アルプスがきれいに見えたでしょう」と、やさしく迎えてくれた。「らっせぃみさと」は、「寄らっせい、見らっせい、食べらっせい」など、この辺りの方言が語源。岐阜県下の道の駅の中でもトップレベルの集客数を誇る道の駅だ。地元の採れたて野菜が集まり、新鮮で安い。恵那市のなかでも、ここ三郷町は農業が盛んだという。ならば、棚田は見られますかと聞くと、「こんな山ん中やで、田んぼつくりゃ、みんな棚田になるでね」と、市川さんは茶目っ気ある笑顔になった。「馬止場の棚田も、もう数十枚くらいしかないけど、まだ半分は米をつくっとるね」と、地域のことに詳しい。

 馬止場は、ここに城があったことを示す地名だ。三郷町のなかでも、市川さんの酒蔵があるエリアは野井と呼ばれ、辺りを治めた野井城に由来する。ただ、城址を示すものは何もない。「野井城は、この上の山にありました。年貢を積んできた馬をここで降り、城へは歩いて行ったんですよ。だから、馬止場の地名が残っている」。この辺りの史跡は、散歩道としてマップにまとめられている。市川さんが、恵那市観光協会三郷支部の副支部長を務めていた頃につくった。「史跡っていうほどのもんでもないけど」と前置きしつつ、なかなか見ごたえあるという穴観音、みんなで茅を刈って再生した「かやぶきの家」、雪をまとった中央アルプスが見える丘に備えつけた「ふるさとを想うイス」など、すらすらとスポットを紹介してくれる。そんな市川さんは、実は酒を受け付けない体質だ。「『酒屋の大将が飲めんなんてことあるか』、と飲まされるとよ、倒れちゃって、障子に穴開けちゃって」と、話してくれる昔話の面白いこと。どんな集まりでもお酒が座を賑わした時代。お正月用にと買った生にごり酒をこたつの上に置いておいたお客様から、「栓を開けたら、あふれちゃって、みんなの正月のええ着物が汚れちゃって、どうしてくれるんだ」と、発酵が進む生酒の包装が甘かった時代にお叱りを受けたエピソードも、市川さんの口を介すと笑い話になる。飲めなくても十分座を盛り上げられるから、支障なかったのではないだろうか。

 この野井エリアで200 年もの間、市川さんの家は酒蔵を営んできた。企業名は、恵那醸造三郷工場。中津川の恵那醸造福岡工場とは、資本は同じ、経営は別々。昭和24 年から、ふたつの蔵でひとつの会社としてやってきた。ことの起こりは、戦争だった。第二次世界大戦下、多くの酒蔵は統制によって一旦は廃業したものの、「こんな山ん中やもんで戦中の金属供出をせずに済んで、道具が残っとったんです。同じように、長瀬くんとこ(福岡工場)にもあったんですな」。戦後、両蔵とも酒蔵の再生に手を挙げたが、統廃合を進める

中央アルプスを望む山里で、福助が見た酒蔵の歴史。

​恵那醸造株式会社 三郷工場 代表取締役 市川賛平さん

国は1社しか登録を認めなかったために、ふたつの蔵でひとつの会社として登録することにした。同じ会社になったことで、酒の消費が少なくなった昭和51年以降は1年おきに片方の蔵が仕込みを担い、原酒を共有する方法をとったこともあった。毎年、新潟から招いていた杜氏が同じ仲間うちだったから、できたことだ。杜氏を呼ばなくなった現在は、酒造りは福岡工場が担い、奥様とふたりで対応できる範囲の量を、この蔵の酒として仕上げている。

 現在のメインブランドは「市乃川」だが、代々つくってきた酒の名は「福正宗」だった。離れの塀の瓦の上には、福助と「正宗」の銘がくっきり浮かび上がった酒樽が並んで乗っている。酒を表すひょうたんもある。絵解きのような演出が心憎い。昭和17年に福井の蔵が商標登録したことで「福正宗」の名称は使えなくなったけれど、福助たちは変わらずに、この蔵を守り続けている。蔵の裏口から坂を上がると、山肌の開けた場所に出た。山の湧き水を貯めておくタンクがある。大きなカヤの樹の下でピクニックしたいくらいの美しい景色。水をたたえた棚田。遠くには雲から顔を出す山の頂。お

隣さんが、「どこの人だん?」と言いながら、私たちに筆柿をもいでくれる。約200年にわたって酒蔵の歴史を支えてきた自然が、すべてこの場所に凝縮されているようだった。

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