ゴンッという音が外で響き、はざま酒造の岩ヶ谷雄之さんは、「落ちたかな」と一言つぶやいて表へ出て行った。ここは、中山道69ヶ所の宿場町のなかでも、奈良・平安の時代からの交通の要所、中津川宿にあたる中津川市本町。はざま酒造は、中山道沿いで約200年にわたって造り酒屋を営んできた。

 さて、落ちたのは通りすがりの車。落ちた先は、店先の水路である。「店の前は枡形といって道がクランクになっている上に水路がオープンになっていて、車がすれ違う時などにタイヤがはまることがあるんです。だいたい1日に1回。持ち上げるにはコツが要るので、いつも手伝いに行くんですよね。お礼にと酒を買いに来てくれるので、なんだか罠にかけているみたいで後ろめたいんですけれど」。おそらくは、いつも通り鮮やかに手助けして、戻ってきた岩ヶ谷さんが、人の良い笑顔で教えてくれる。枡形というのは、敵が侵入してきても、まっすぐ攻め込むことができないようにつくられた宿場町ならではの道の形状だ。水路がオープンになっているのも、この宿場町らしさを留めたいとの意向があってのことらしい。

 昔のまちなみと今の暮らしが交錯する宿場町で、はざま酒造の屋敷は「うだつ」のある家として紹介される。うだつは、隣家との境の壁を上に伸ばして小屋根をつけた仕様で、火事の延焼を防ぐ目的でつくられた。その家の裕福さを表すシンボルとして、「うだつのあがらない」の語源にもなった。「社長はうだつに詳しくて、話が長くなるんですよ」と、岩ヶ谷さんが笑う。はざま酒造を代々営む間家といえば、ここ中津川では尾張徳川家の御用商人として栄えた豪

商として知られる。「同じ間家でも、ここは分家だと聞いています。本家は、中山道を中津川駅方面へ向かった先にある『間家大正の蔵』の方です」。とはいえ、酒造りをはじめたのは西暦1800年頃というから、相当な旧家だ。

 岩ヶ谷さんは、醸造と販売の責任を担い、蔵に泊まり込みで仕込みを統括している。蔵の案内もお手のものだ。桶のフタを利用した半円型のテーブルに、手際よく試飲の準備をしていく。展示コーナーあり、きき酒コーナーありの「酒游館」には、以前はびん詰をしていたという板間に昔の酒造道具が並ぶ。歴代の酒のラベルもたくさん額に飾られていた。

 

 これから、はざま酒造は純米蔵をめざし、銘柄も「恵那山」一本に絞っていくという。石桶からなみなみと溢れているのは、酒の仕込み水と同じ地下水。恵那山の伏流水だ。恵那山と、酒の「恵那山」には、確かなつながりがある。霊山として知られる恵那山の頂には、恵那神社の奥宮があり、イザナギとイザナミが祀られている。ふもとにある本宮も、立

中山道・中津川宿の昔と今をつなぐ恵那山と「恵那山」。

​はざま酒造株式会社 醸造・販売責任者 岩ヶ谷雄之さん

派な夫婦杉に守られた由緒正しい神社だ。「『恵那山』がデビューする際、山の名を冠する許可を恵那神社に求めたそうです。すると、『恵那山の水にて醸す此の酒を酌みて我が世は楽しかりけり』という歌とともに、当時の宮司は使用を快諾してくれました。ほら、これです」。その歌は、酒の裏面ラベルに今も記されている。恵那神社とはその後も付き合いが続き、仕込みに入る前などのお祓いもお願いしているそうだ。店先の角には、石でできた恵那山への道標も立っている。何かと縁があるらしい。

 恵那山がよく見えるまちなかのスポットがあると聞いて、中山道を中津川駅方面へ歩いた。古いまちなみを抜けると、四ツ目川にかかる四ツ目橋に出る。川の上流側に、きれいに恵那山が見えた。手前に前山、奥が恵那山。冬は頂に雪をいただいて、とても美しい。恵那山は、日本百名山でもあり、毎朝写真を撮るようなファンもいる人気の山だ。中山道を旅した人たちも、この山を見ながら歩いたことだろう。昔と今の宿場町の風景をつなぎとめる山。舌に刻まれる酒「恵那山」とともに、この中津川宿の造り酒屋の歴史をつないでいく。

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