美濃焼の産地のひとつ、土岐市のなかでも、駄知町はどんぶりのまちとして知られる。「この辺りは、得意なやきものごとに、まちの特性が分かれているんです。駄知は、すり鉢とどんぶり、下石は、とっくり、さかずきは多治見の市之倉。とっくりみたいな袋ものは、また違う技術が必要なんですよね」と、千古乃岩酒造4 代目の中島大蔵さんは、やきものにちょっと詳しい。聞けば、やきもの関係の仕事に就くご友人が多いとのこと。「僕自身は一度も焼いたことないですけど」と、語るが、美濃焼の繊細な酒器と日本酒のセットを開発するなどして、蔵の商品にこのまちらしさを取り入れている。

 

 千古乃岩酒造の名は、町境にある稚児岩大橋の下から顔を出す巨岩、稚児岩の名にあやかっている。稚児の字は、千年のめでたさを願って、永遠を意味する千古に置き換えた。明治42年の創業で、創業後2 代は味噌や醤油を醸造していたという。そんな蔵の酒造りは、後味のキレと味わいをじっくり引き出すことがモットー。中島さんが、「うちは麹のつくり方が全然違うんで」と、オリジナルの超醇製法について説明してくれる。麹室の温度差と製麹時間を大幅に変えて、後味のキレを引き出しているという。

 

 さらに詳しい説明を求めると、「マニアックになっちゃうんですけど」と前置きしながら、「うちのは酸性プロテアーゼが少ないんですよね。タンパク質分解酵素で酸性プロテアーゼっていう酵素があるんですけど、その酵素をつくる温度帯の幅が35℃から38℃。その温度帯を早く通過させるためには前緩後急型で…」と、聞きなれない専門用語がぽんぽん飛び出してきた。確かにマニアックだ。全然わからないと降参する。

 

 中島さんは、東京農業大学で醸造学を学び、卒業してからも研究室で副手をしながら、さらに1 年半かけて論文を書き上げた人だ。「結構おもしろかったんで」と、淡々と語るが、この様子ではかなり熱心に取り組んだのではないだろうか。酒米に関しても、日本の棚田百選のひとつ、恵那市の坂折棚田で契約栽培し、「棚田米仕込み」を商品化するなど意欲的だ。海外への進出もはじめた。「海外へは後発組なので、少しだけです」とのことだが、アジア圏への販売ルートをいくつか確保している。ちょっとクールな中島さんの熱い一面は、仕事ぶりに現れている。

連綿と続く美濃焼のまち駄知で、静かに熱く技をつなぐ。

千古乃岩酒造株式会社 代表取締役 中島大蔵さん

 秋口のこの日は、すでに今年の仕込みがはじまっていた。酒蔵は、大正時代からの趣ある建物だ。黒い壁に、道端の真っ赤な旧式ポストが映える。どうやら珍しい型らしく、ポストマニアに受けが良いそうだ。珍しいといえば、蔵の裏口を出てすぐのバスターミナルを経営する東濃鉄道は、「鉄道のない鉄道会社」と言われる。この場所は、元は東濃鉄道駄知線の駄知駅だった。駄知線は、陶磁器製品を東京方面へ運ぶルートとして、大正時代に開通した。地域の人びとの交通手段でもあったが、昭和49 年に廃線となった。廃線後に生まれた中島さんにとって、解体前の駅舎は遊び場だったという。「まちができた後に駄知線ができたから、うちも駅側が裏口なんですよ」と中島さん。メインストリートである本町商店街も、駅より歴史が古く、東側に一本離れた場所にある。駅を中心としたまちなみは生まれなかった様子だ。

 

 「駄知線については、父に語らせると詳しいんですけどね。廃線記念に線路を輪切りにして配ったものが、うちにもあるんで」。お父さんは、すでに中島さんに代を譲っているが、親子はともに地域の活動に力を入れている。薪能を開催している神社があると聞きつけたので尋ねてみると、「白山神社ですね。駄知小売商組合が主催していて、父が理事長です」と、返ってきて驚いた。資金を貯めて数年に一度、まちの人のために開催しているそうだ。組み立て式の能舞台も、あつらえた。準備に手間がかかりそうだが、「簡単ですよ」と、気負いがない。それより、江戸時代からある陶製の狛犬のほうが心配だと、地域の宝を思いやる。白山神社には、大きな陶祖碑もある。

 高台にある神社までは、坂の途中でたくさんの窯を通り過ぎた。規模や種類を問わず、窯業関連の企業が次から次へと現れる。陶磁器のまちだとは知っていたが、これほどまでとは思わなかった。窯も蔵も、先人の技術をつないで現役ばりばりだ。中島さんのように、静かに熱いものをたたえた、たくさんのプロフェッショナルが支えているのだろう。

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